前橋地方裁判所高崎支部 昭和43年(ワ)27号 判決 1971年5月31日
原告 千原晴江
<ほか一名>
右原告等訴訟代理人弁護士 橋本基一
同 朝倉正幸
右訴訟復代理人弁護士 村上洋
同 工藤建蔵
被告 飯野明
右訴訟代理人弁護士 池田正映
右訴訟復代理人弁護士 池田昭男
主文
原告等の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告等の負担とする。
事実
(当事者の求める裁判)
一、原告等
被告は原告千原晴江に対し別紙目録(三)記載の建物を明渡し、且つ金二四、五〇〇円及び昭和四二年四月から明渡完了に至る迄一ヶ月金五、〇〇〇円の割合による金員を支払え。
被告は原告依田冨貴に対し別紙目録(二)記載の建物を収去して同目録(一)記載の土地を明渡せ。
訴訟費用は被告の負担とする。
右判決及び仮執行の宣言。
二、被告
主文と同旨の判決。
≪以下事実省略≫
理由
一、原告等の先代亡依田宗十郎が本件土地、家屋を所有し、右家屋をその主張の頃から被告に賃貸していたところ、宗十郎の死亡により原告晴江及び同冨貴が本件家屋と土地とをそれぞれ相続により取得し、原告晴江が被告との間の右家屋の賃貸借関係を承継したことは当事者間に争いがない。
二、亡宗十郎の先代亡依田弥助が本件家屋を亡加藤亀吉(啓蔵)に賃貸していた大正の頃、亀吉が賃借家屋の南側に接して別紙目録(四)記載の建物を築造したことは争いないところ、原告等はその所有権は原告晴江に帰属したと主張し、被告は之を争うのでこの点について検討する。
≪証拠省略≫によれば、右建物は物置(二坪)と付属の居宅(二坪二合)であって、加藤亀吉は家主の承諾を得て右建物を築造し、加藤啓蔵名義で所有権保存登記をし、自分と娘聟の加藤銀次郎とが之に居住し、下駄製作の仕事場やその材料の置物所として使用していたが、後には訴外堀越某に貸していたことが認められる。次に≪証拠省略≫を総合すれば、被告が本件家屋を賃借する際に、昭和三三年一月一〇日被告は加藤銀次郎から右物置兼居宅を買受け、宗十郎の承諾を得て、本件家屋と右建物との間に下屋を設けて接続させ、某処に六、五坪の建物を建増し、その中に畳を敷き、押入、便所、台所用流しを備えて、以後、本件家屋を八百屋営業の店舗として使用する傍ら、右物置兼居宅を、被告等の家族及び住込の従業員の住居並びに商品の青果物等の置場所として使用していたが、家主である宗十郎も被告の右使用状態を承認していたことが認められる。
以上認定の事実によれば、別紙目録(四)記載の物置兼居宅は当初之を築造した加藤亀吉(啓蔵)の所有であったが、後に娘の聟加藤銀次郎を経て被告に所有権が移転したものというべきで、加藤銀次郎が立退いた際に原告晴江の先代宗十郎がその所有権を取得したとの原告等の主張は採用できない。
三、被告が昭和四二年四月九日前記物置兼居宅を取毀した上、その跡に別紙目録(二)記載の建物を築造したことは当事者間に争いないので、それが本件家屋賃貸借契約解除の原因となるか否かについて判断する。
(一) 先ず被告は、本件賃借家屋南側の物置兼居宅の敷地であった土地は、加藤亀吉(啓蔵)が原告等の先代宗十郎から賃借し、その借地権を、加藤銀次郎を経て被告が承継したと主張するけれども、かような事実を確認するに足る証拠はないので、右主張は之を排斥する。
(二) 次に≪証拠省略≫を総合すれば以下の事実が認められる。
右物置兼居宅は、被告が宗十郎から本件家屋を賃借した際に、訴外加藤銀次郎から別紙目録(四)記載の建物を譲受けた上、宗十郎の承諾を得て之に建坪六、五坪を建増し、内部に四畳半の一室と押入、便所などを設け、又前に畳敷であった部分を一部改造して物置としたものであって、部屋には住込従業員が寝泊りし、物置は青果物等の商品の置場所として使用するに便宜なように改造したのである。そのうちの物置として使用していた部分は甚だ粗末な造りで、しかも古くなった為雨が漏り、又その西側約一坪の部分は朽廃したので之を取毀すの已むなきに至ったこと、娘が成長して独立の室が必要となったこともあって、かねてより被告は右物置兼居宅の改造を承諾され度い旨家主の宗十郎に要請していたのであるが、昭和四一年二月八日宗十郎死亡の後は、本件家屋を相続した原告晴江に対し右改造の承諾を求めていた。そして昭和四二年三月一九日被告が同原告に対し建築予定の建物の簡単な平面図を示した上改造の計画につき概略の説明をしてその承諾を求めたところ、同原告は右図面に示された床面積の範囲内で建物を築造することを概括的に承諾したが、なお具体的明細な設計図の提示を求めていた。しかし被告は、梅雨期に入らぬ中に早急に工事を完成し度いと要望したので、同原告は、設計図の提示は後日に待つこととして一先ず之を承諾した。そこで被告は同年四月九日前記物置兼居宅を全部取毀し、翌一〇日からその跡地に新築工事に掛ったのであるが、同原告は、右建物が自己の所有であって被告のものでないと信じていたところから、驚いて被告に対し、同年四月一一日頃、床面積を物置として使用している以上に拡張しないこと、受領済の建築図面と違った構造にしないこと、等について警告した。その後同年五月四日頃同原告は更に被告に対し、前記警告が無視されているとして、新築建物の敷地が従前の物置の敷地の範囲を越え、木造の約に反してブロック建築にしていること、建物の高さが三米を越えていること、無断で地下に浄化槽を設置したこと、等のほか、同原告が他に賃貸している家屋に居住する近隣の人達が被告の新築家屋の建設により通行が困難となったり、排水溝が塞がれたりする等の迷惑を受けていること、などを理由として、工事を変更するよう催告したが、それにも拘らず被告が工事を続行して同年五月上旬別紙目録(二)記載の建物を完成したので、同原告は同年七月一二日付翌一三日到達の書面で被告に対し、賃貸借関係を維持すべき当事者間の信頼関係が破られたとして、本件家屋の賃貸借契約解除の意思表示をしたのである。
(三) そこで以下原告等の主張する被告の義務違反又は背信行為があったかどうかについて判断する。
(1) 前示のように、被告が所有していた前記物置兼居宅の敷地について被告は賃借権を有するものではないが、家屋の賃借人は、賃貸借の目的たる家屋の利用に附随し、之を利用するに必要な範囲内で、しかも家屋賃借権の存続する期間内においてのみ、賃借家屋の敷地を利用することが許容されていると解するのが相当である。
ところで弁論の全趣旨によれば、本件家屋の賃貸人である原告晴江は、母の原告冨貴より本件家屋の敷地たる土地(別紙目録(一)記載)の使用を許容されているものと認められるところ、家屋の賃貸人としては、賃借人が附随的に利用するその家屋敷地の空地にいかなる規模、構造の家屋を築造するかは大きな関心事と云えるから、同原告が、被告に対し具体的詳細な建築設計図の提示を求めたことは当然の措置と云ってよいが、前掲各証拠によって、被告はかような設計図を提示しないまま別紙目録(二)記載の建物を建築完成したことが認められるので、被告のこのような行為は賃貸人たる同原告に対し或程度不信の念を植付けたことを否定し得ないであろう。
(2) 次に前掲証拠によれば、被告は原告晴江に対し前記物置兼居宅の改造について許諾を求めて概括的にはその了解を得たものの、具体的な設計図を同原告に見せないままに旧建物を取毀し、新築工事を始め、その一部をブロック建にしたこと、同原告は建築工事は木造建物の改造にすぎないと考えていたこと、などの事実が認められるが、かような事実からすれば、被告の行なった右のような工事は、同原告に対し不安の念を懐かせたものと推認することができる。
(3) しかし乍ら、右証拠によれば、右取毀された建物の物置部分は甚だしく腐朽していたので、取毀さないで改造することは、物理的に困難であるのみならず、経済的にも不利益であるし、従って右物置部分と接続し、一体として利用される住居部分も、同時に取毀して新築する方が物理的に容易であり、経済的にも有利であると認められるので、かような場合、改造に代えて取毀し、新築するという方法を執ることも已むを得ないものとして許容されるべきものと考える。
(4) なお前示のように、被告は取毀した物置部分の跡地に、右物置より西側約一坪(間口約三尺、奥行約一間)を拡げて建増し建築したが、≪証拠省略≫によれば、それは被告が昭和三四年訴外加藤銀次郎より譲受けた物置兼居宅を修理、増築して建増したものの一部が昭和四〇年頃腐朽して取毀されたので、その跡に、今度再び築造したものにすぎず、当初の床面積に較べて特に拡大してはいないことが認められる。
(5) ≪証拠省略≫によれば、被告の建築工事中近隣の田中方の出入口の木戸の開閉が困難になったとか、飯島宅への通行が不自由になったとか、近隣の人達から文句が出たこともあったと認められるが、建物が完成した今日では、別段そのような迷惑を与えている模様は認められないのである。
(6) 前掲各証拠によれば、被告の家族は妻と娘(一八才)一人であり、永年住込の従業員一人が同居しているが、娘も成長し、又住込従業員の居室も必要なので、被告夫婦と娘が寝室として使用している本件家屋二階の六畳及び四畳半の二室のほかに、新築の建物に六畳(居室兼茶の間)と四畳半(従業員の居室)の二室を設け、ほかに浴室、台所、押入、便所を作り、右建物西南隅に近い空地に浄化槽を設けたこと、青果物等の商品の物置は店舗(本件家屋)に接する部分を土間として之に使用していること、新築の右建物は木造瓦葺であるが、東側路地に面する部分と、隣家の勝手口に近い部分のみ火災防止の為ブロック積になっていること、等の事実が認められる。
(7) 以上諸般の事情を総合考察するに、被告が別紙目録(二)記載の建物を建築するに当り、改造についての概括的な承認を得てはいたが、原告晴江に対し明細、具体的な設計図を見せることなく、建物の規模、構造等について十分な了解を受けないままに建築工事に着手するなど若干不信行為と見られるような行為が有ったことは否定できないけれども、他方、本件家屋賃貸借が締結された事情、すなわち、被告が以前から八百屋を営んでいたが、本件家屋で右営業を継続する目的で賃借し、入居後今日迄引続いて之を営み、今後も八百屋を続ける意思を有すること、家主の側でも之を熟知しており、特別の事情のない限りなお相当の期間に亘り本件家屋の賃貸借契約が継続することが予想されていたこと、その間家賃の不払等の紛議を生じたこともなかったこと、(かような事実は前掲の各証拠により明かである)、等の事情及びこれ迄居住していた旧物置兼居宅の腐朽の程度が甚だしいこと、賃借した店舗を有効に利用するにはその店舗に近接して物置や居住が在ることが極めて必要であること、等の事情に鑑みれば、被告が之を取毀して、その敷地の範囲を越えない部分に、或程度耐久性があり、必要最小限度の住居用の建物を建て、青果物等の置場を店舗に近い場所に移したこと、などの行為は、久しく右物置兼居宅に居住して之を賃借家屋を使用する為の便益に供していた被告としては、賃借家屋の利用を増進する為まことに已むを得ないものというべきであって、賃貸人が之を禁止することは、借家人に対し劣悪、不便な生活条件を強要することとなり不当であるから、被告の右行為は、家屋の賃貸人により許容された敷地利用権の範囲を超えるものでなく、従って前認定のように、被告が右建物築造の経過において、若干原告晴江の不信を招くような行為が有ったことは否定できないものの、同原告による本件家屋賃貸借契約の解除を是認し得る程度の著しい背信行為と目らるに足りないものと考える。
(四) 以上説示の通りであって、被告が別紙目録(二)記載の建物を築造したことが、賃貸人たる原告晴江に対する本件家屋賃貸借契約上の義務違反又は背信行為と為し難いのであるから、之を理由として原告晴江が被告に対して為した右賃貸借契約解除の意思表示(昭和四二年七月一三日到達)は効力を生ずるに由なきものといわねばならない。
四、そうすると、右契約解除が有効であることを前提として、被告に対し、原告晴江より右家屋の明渡と解除の意思表示が到達した翌日以後の賃料相当の損害金の支払を求め、又原告冨貴より別紙目録(二)記載の建物を収去してその敷地(同目録(一)記載)の明渡を求める各請求はいずれも理由がないから之を排斥すべきものである。
五、なお原告晴江は昭和四一年九月分以降の本件家屋の賃料が未払であるとして被告に対しその支払を請求しているけれども≪証拠省略≫によれば、昭和四二年四月被告が同月から値上げになった家賃金五千円を原告晴江に交付したところ、同原告は一旦之を受領したにも拘らず、二、三日後に、受取れないと云って返されたこと、当時同月分以前の賃料については別段何らの請求がなかったこと、≪証拠省略≫によれば、被告は同月分の賃料の受領を拒絶された後原告晴江に対し同月以降昭和四六年二月分迄の賃料を毎月金五千円宛供託していることが認められるし、又同年三月分の賃料の支払は、本件口頭弁論終結の同月三一日においては、特に遅滞しているものとは認められないのである。よって以上の事実を総合すると、被告の原告晴江に対する昭和四六年二月分迄の本件家屋の賃料はすべて支払又は供託により消滅したものと認められ、同原告の被告に対する賃料の支払請求も亦理由がないから排斥を免れない。
六、よって原告の被告に対する本訴請求はすべて棄却することとして、主文の通り判決する。
(裁判官 小西高秀)
<以下省略>